釘彫り高台の稽古
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暗くなり始めてからゴロゴロ
秋の夕立
雨よ降れ
以前から釘彫りは頭にあった。伊羅保なら釘彫りである。ベベら好きのくせに釘彫りを敬遠するという愚かなヤツである。いや、約束事は所詮人間が作りだしたものに過ぎない。いいものはいい、よいと感じないものはよくない。自分の感性と伝来の感性の闘いでもあり、和解でもあり、アウフヘーベンでもある。こうと決まっているからこうなんだ、というのも何だか気が進まないが、それでも(繰返しになるが)いいものはいい。兜巾、縮緬、竹の節こういう美意識は大事にしたい。
そこで、釘彫りである。
やってみるとあれれ、というほどあっけない。
これじゃだめでしょ、と思う。
哀しいかな私の感性は、幾代太夫の錦絵を見て恋わずらいになった落語の「幾代餅」の清蔵と変らない。釘彫りの実物を見たことがない。
カンナは釘ではあるまい。取りあえず松皮刀の先端でやってみたが、彫りの感じがしっくり来ない。
平面に釘跡がのっぺりというのでは味がない。もっと立体感が欲しい。じゃあ、何だ?
今使っているカンナを手直しすればできる?
この峰と谷の部分が逆転すればいいような気がするのだが……
そう単純ではないだろう。
しばらく悩んでみよう。