化粧井戸盃の貫入検査
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先日試験した化粧井戸盃を渋入れして貫入を観察した
釉は同じもの
その1(やや厚い化粧)サイズやや大きめ
貫入はやや大きめで2mm~5mm
形は五角形、三角形に交じって変則的な四角形が点在する
いわゆる長方形はほとんど見られない
その2(薄めの化粧)
貫入はかなり小さく1mm以下~5mm
形はほとんどが長方形で、そこに五角形、三角形が混じる
貫入の大きさや形は何によって決まるのだろう?
面白いが、終着駅のない旅でもある
新造土の試験
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だいぶ前に入手したままほったらかしにしてあった唐津陶石
釉薬原料として買ったのだが、胎土にしたらどうかと思い立ちカオリンと半々に混ぜてみた
しばらく寝かせたものの弾きニクイことこの上ない
余った土に頁岩粘土をさらに半々に混ぜてみた
こっちの方は頁土の粘りのおかげで普通に弾ける
さて結果はどうか
陶石カオリン半々
これは貫入検査のため渋入れしたもの
それでもやっぱり白い
貫入はやや大きめで固さが目立つ
だが、これは釉との相性もあるので一概には判断できない
頁土を混ぜたもの
頁土はもう少し減らしてもよかったか・・・
こっちは梅花皮が全面に出て貫入が分りにくいが、釉をもう少し薄くすればいい感じの小貫入になりそうだ
さて、次はどうする?
暑い夏がやってきた
いよいよ井戸本番だぞ
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桐生FMにちょこっと出ることになった
昨日はMCの方がたとその打ち合わせ
昼間はひとりでいることがほとんどなのであまり人と話す機会がないので、実に楽しいひと時をすごさせてもらった
本番でうまくしゃべれるといいのだが
今日のシェイクスピアは『冬物語』
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嫉妬がひとりの男から、妻と子を奪い、友を奪い、歳月をも奪う。だが、悔悟に耐える人間を時はやさしく包み、石像をひとに変えてくれる。和解と再会のロマンス劇。
シェイクスピアは、グリーンの原作のシシリアとボヘミアを入れ替え、物語は冬のシシリア(イタリア)から、晩夏のボヘミア(チェコ)へ移動する。これは、私たちの、南=夏、北=冬の季節感からすれば逆さである。もっともボヘミアに海岸を書くような地理的知識だから、シェイクスピアに緯度の感覚があったかどうかはあやしい。しかし、もしも、地理的知識があった上での変更だとすれば、意図的に現実感を希薄にしたと考えられるのではないだろうか。
1969年ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーが初めて来日し、記念碑的な公演をおこなった。この公演で日本の演劇が激変したといってもいいくらいの衝撃を与えた。演目は、『冬物語』、『ウィンザーの陽気な女房たち』。とくにトレヴァー・ナン演出の『冬物語』が斬新で、注目を集めた。ジュディ・デンチがハーマイオニーとパーディタの二役を演じ、鮮烈な印象を残している。この作品には見るべき映像作品はない。クライマックスの動く石像の場面は、変身の場である舞台に特権的にゆるされた奇跡であり、石は石でしかない映像の世界には不向きである。
長くなるのでつづきは⇒シェイクスピア全作品解説
覚えておきたいシェイクスピアのことば⇒ジャンル別シェイクスピアの名台詞集
今日のシェイクスピアは『シンベリン』
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おそらくほとんどの人はシンベリン?
と首をかしげるだろう
確かにこの作品はあまり知られている作品ではないし、よい出来でもない
だが、男装あり、美しい歌あり、神の顕現ありと、新しい劇場の舞台効果を満載し、まさに絵に描いたような波瀾万丈の物語だ。
GUIDERIUS. Fear no more the heat o' th' sun
Nor the furious winter's rages;
Thou thy worldly task hast done,
Home art gone, and ta'en thy wages.
Golden lads and girls all must,
As chimney-sweepers, come to dust.
(もうおそれるな夏の日照りを、荒れ狂う冬の寒さを。この世のつとめを果たし、十分な報いを得て、我が家へ帰る。今をときめく男も女も、塵払い人のごとく、みな塵に帰る。)
シンベリン王の息子ふたりは、男装したイモージェンが死んでしまったと思い、鎮魂歌を捧げる。
勝手な憶測だが、シェイクスピアも「終活」の時期に入ったのだろうかと思われる
この作品を書いてから7年後に亡くなっている
長くなるのでつづきは⇒シェイクスピア全作品解説
覚えておきたいシェイクスピアのことば⇒ジャンル別シェイクスピアの名台詞集
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花火の季節になったな