青山常に運歩す

頼住光子『シリーズ・哲学のエッセンス〜道元』(NHK出版)を読む。

これは哲学の書かも知れないが、『正法眼蔵』の書でも、道元の書でもないと感じた。文化人類学ではとうの昔に乗り越えた「外部からの視線」を相変わらず持ち続けていることに、まず、大きな疑問を感じた。宗教は哲学ではない、また、文学でもない。ほんのわずかでも禅への敬意があればこのような「外部」に身を置くことはなかったろうに、と悔やまれる。

まず、青山常運歩の解が謬見である。禅門をくぐったものなら一瞬にして見破るほど明らかな誤謬だ。もちろん、語るのは自由だ。しかも宗教を論じているのではなく標題にもあるとおり論の姿勢は一貫して「哲学」なのだから禅門云々は、これもまた「外部」からの謬見にすぎないかも知れないから多くを語るのは止めよう。

ただ、岩田慶治氏の著作を読む方がはるかに道元の本質に迫ることができるとだけ言っておきたい。