ハンドルを切る・・・何故「切る」のか

ことばのアヤには生活の中にまぎれてそのわけを考えたこともないものが多い。ハンドルを切る。この隠喩もそのひとつだ。刀で切る。その連想でないことは確かだろう。トランプでカードを切る、などは何となく大根を切る動きに似ていなくもないが、見得を切る、とか、啖呵を切る、となるとこれもまた連想が湧かない。

意味としては「連続を断つ動作」でくくれる。ハンドルを切って、直進を断ったり、カードを切って、札の連続を断ったり、見得を切って、芝居の流れを断ったり、啖呵を切って、おだやかななりゆきを断ったり、とにかく、続いているものを断つのが「切る」ことだ。

理屈は分る。でも、なんで「切る」なのかなァ。イメージとして納得が行かない。

話は変る。でも、ハンドルにはこだわる。

あなたはハンドルを「押す」派、それとも、「引く」派、どちら?

訓練校時代、バイクに乗っている仲間と話しているとき、意外に思ったのが、バイクで曲るとき曲ろうとする側のハンドルを押すことをみんな知らなかった。左に曲るときはハンドルの左側を押す。そう言うと、そんなバカな、それじゃ曲れないよ、左に切るんでしょ、みんな同じ反応をした。

私たちはバイク全盛の時代を経験しているせいか、この手の技術はいつの間にか共有していた。今バイクは一時ほど誰もが乗る時代ではないので口伝が絶えたのだろう。(伝統が「切れた」・・・。)自転車でも同じだ。ウソだと思うなら試してみるといい。二輪車は車体を倒さないと曲らない仕組になっている。曲る方のハンドルを軽く押すと前輪は一旦は曲ろうとする方向とは逆へ向くが、その動作が車体を倒してくれるのだ。

さて、さきほどの質問は車での話だ。車にも結構長く乗っているがこの技術は初めて知った。初めて知ったとき、訓練校のバイク乗りと同じような反応をした。そんなァ、ハンドルは回すものでしょ・・・。

だが、やってみると切り角45度くらいまでは押していた。それ以上切る必要のある交叉点カーブなどは「回して」いるが、ちょっとしたうねうね道では「押して」いるのだ。

もちろん「引いて」も曲れる。ただ手が反対になる。左に曲る場合、右手で押すが、引くときは左手で引くことになる。

こういうことを考えながら運転するのが好きだ。釣りバカ、ならぬ、運転バカである。

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