F1の終焉

何ごとにも終りがある。祭のあとにはさみしさが残る。
今、振り返るとチェッカー直前でガス欠になったマシーンを押してゴールした時代がやんちゃなF1を象徴している気がする。経費を抑えるためにエンジンを統一する?そんなワンメーク・レースのようなF1を誰が見るのだろうか?F1はカネの掛るものでいいではないか。この世にひとつくらいそんなバカげた贅沢があっても神様は許してくれるだろう。
そして、もうお金もコンも尽き果てて参加するチームが数チームになったらやめればいい。
セナが死んでもレースは続行した。レースはそういう非情なものだ。それまでもレース中の死亡事故はあった。能だって同じだ。演者が舞台で息絶えても代役が舞を引き継ぎ、決して舞台を中断したりはしない。舞台はそういうものだ。
その精神を引き継いで欲しい。統一エンジンなどというちゃちな発想はいったいどこから出てくるのだろうか?こういうこと自体、F1の終焉を予感させる。人類が到達した最高峰のモータースポーツであってこそF1ではないのか。姑息な知恵でインディーカーに負けるようなみじめなレースをするのだったら、最高峰は最高峰のまま終焉して欲しい。
などと言えるのは実情を知らないからだろうが、来シーズンはせっかくスリックタイア復活にもかかわらず魅力激減である。

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