親友

不意に思い出した、父親が毎年正月同じ友人と旅に出たり、お互いの家を交互に訪ね合ったりしていたことを。
TBSの深夜番組「落語研究会」で立川志の輔のえらく長い枕のなかで、毎年落語家仲間の春風亭昇太と海外旅行へ行く話が出たときのことだ。ああ、そんな友だちがいるなんてうらやましいことだと思ったときに死んだ親父の顔が浮かんだ。
そういう旅もいいものだと思う。いつもは離れて暮している友と旧交を温める旅。男だけの旅。そんな詮無いことを考えていたらなんだか懐かしいような気持になった。この感懐はいったい何だろう。
まだそんな旅に出たことがないから、一種のあこがれの感情なのか、それとも修学旅行などへの懐古か・・・。
いや、どちらも違うように思う。あえて言うなら、仮定法の未来完了、つまり、起る可能性はほとんどないことを、さらに先の未来へ飛んで、すでに起ったこととして振り返る先駆的回想のとりとめなさ。掴まえようとすると逃げてしまう30cm先の蜃気楼、にもかかわらず「放てば手に満てり」(道元)。
いつもからだのすみずみで飼い慣らしている人なつこさの原型が、ひょいと顔を出したのか。
得られないものを思うときに鼻の奥で焦げるような匂いをさせる感懐。不可逆な時の耐え難いほどの確かさへの羨望。
そんな懐かしさだったような気がする。

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