F1、92年ハンガリーGPを見た

古いヴィデオを引っ張り出して、たまたま目に入った92年のGPの中からハンガリーGPを見た。
スターティング・グリッドを見て驚いた。26台のマシーンが整列しているのだ。最近のF1はたった20台でさみしい。この年は30台以上のエントリーがあったので予備予選まで行われていた。
FIAは今頃になって経費削減云々を言いだしているが、そんなことより、30台以上ものエントリーが20台に減ったワケをもっと早く理解すべきだったのではなかろうか。問題は金額だけではないのだ。今のF1が自動車企業(ワークス)間の闘いになりさがったこととつながっているはずだ。
レース好きな生粋のF1野郎であるプライベーターをはじき出してしまうシステムを再考すべきではないか。
などとついぼやきが出てしまうが、レースを見ていて気付いたことがある。
路面が無茶苦茶に悪いのだ。コース脇も砂だらけである。2008年のハンガロリンクと雲泥の差である。改修したのは安全問題を最優先した結果なのだろうが、こんな草レース場のようなサーキットでのレースの方が圧倒的に面白いというのも皮肉なものだ。
この年はウィリアムズのマンセルがすでに8勝しており、11戦目ハンガリーGPで早々と年間チャンピオンに王手を掛けていた。
レース終盤一位を走っていたパトレーゼがコースアウトし、一位がセナに変る。マンセルは大事な一番でタイヤがスローパンクチャーを起こし、致命的とも言えるタイヤ交換を強いられた。だが実はここからがこのレースの見所だった。
当時はタイヤ交換はまず行われなかったので、マンセルにとってここでのタイトル決定は無理かと思われた。だが、マンセルはあきらめずに勇猛果敢なごぼう抜きを始める。ハンガロリンクはコース幅が狭くて抜きどころがほとんどないサーキットだ。にもかかわらず抜くは抜くはでセナのうしろまで追いつき、二位でチェッカーを受けた。
いやあ、F1てこんなに面白かったんだと思った。日本で放送が始まって以来欠かさずに見てきたのだが、すっかりこの興奮を忘れていた。
味を占めて次のベルギーGPを見てがっかりした。実況が古館だった。ハンガリーGPは何かの事情であの馬鹿騒ぎから免れていたらしい。その古館は今ではニュースキャスターの座に収まり、今度は日本の政治をプロレス扱いしている。いい気なものである。
F1は草レースだったのだ。アメリカでは今でも草レースをやっている。それでいいのではないのか?
レースは命懸けの勝負だ。謂わばローマの休日(注:有名な映画のタイトルだが、実はもっと奥に隠された意味がある⇒Roman holiday)なのだ。だからお金が掛ってもいいと思う。だが、方向を見誤ると現代F1のようなちゃちな小細工ばかりが横行することになる。
給油を許したのが一番の愚策に思うのだが。重いマシーンが路面に接して火花を飛ばすシーンが大好きだ。是非ともレース中給油禁止を復活させて欲しい。