渋入れ

平津長石釉の杉形碗をトチ渋に入れてみた。目視では貫入が見えず、入れた後の変化もさほどないので渋は入らないものとあきらめていた。
忘れかけたころあいつはやって来た。
今朝、洗い物かごに入れたままになっていた器に目をやるといつの間にか座敷わらしのようにやって来てちょこなんと坐っていた。
それをいいというか、いやだというか、評価は分れることだろうが、渋貫入が好きな私にはたまらない。

渋にせよ、貫入にせよ、どんな風に入るのかは天のみぞ知るという消息が面白い。人手は掛けるが最後は地水火風の仕事であり、人間の立ち入る隙はない。そもそもやきもの自体が木火土金水のわざであり、人間の役割は小さい。
その小さな隙間に何百年いや何千年の人知が注ぎ込まれている。私もがんばろう。