手塩




朝から日が射す
しずかな月曜


悲惨なことになった黒釉の柿の蔕もディスクグラインダー、エアリューター、ワイヤーブラシ、紙ヤスリなど総動員して、一応使える状態に手入れしてみた。そのまま物原直行では哀れがすぎるから。

どんな器もそれ自体で生きることはない。うつわは虚ろなまま。中に何かを容れてはじめて生きる、生かされる。人間も似たようなものだ。

ただうつわの虚ろさは人と違って時を超える。だから非時の密度はなければならない。

そう言えば、土曜日のチューボーですよ(ゲストは草刈正雄)の粉引飯碗、なかなかよかった。∴ん窯では粉引は作らないが、目が釘付けになった。変にきれいに仕上げず、少しだけ荒々しさの残った作風、誰の作だろう。







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