とはいうものの
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薄曇
部屋が暖まらない
ちょっと見栄を張って書き初めの写真を載せたのはよいのだが、よく見るとまだ抜けている文字を発見して落胆することしばし。
そのこともあって今朝3度ほど心経を写経して気付いたのだが、262文字(最後に「般若心経」加えた場合は266文字)を一枚の紙に収めようとすると余計なところに意識が行き、文字に気持が入らない。
一枚に収めることなどどうでもよいことである。もちろん、そういう目的で写経することを否定しはしない。それはそれで一つの信仰のありかたであり尊いことだと思う。また、書家が作品として一枚の半紙に写経するのも価値あることだ。だが、私の中では違和感がある。私は筆で文字を書くことでこころを落着かせたい。そのための写経である。だから結果として262文字が二枚に亘ろうと一枚に収まろうとどちらでもよい。写経の方法としては邪道かも知れないのだが、私にとっては文字を書くことそのことが大切なことなのだ。
書き初めと称して写経したクロッキーをブログに載せたのが間違いであった。こういうものはひとの目に触れる類のものではないことを思い知った。心乱れてろくな字が書けない(もともとたいした字を書いているわけではないのだが)。
きっと1000枚2000枚と書いているうちに自ずと一枚にすとんと収まるものなのだろう。そして、それができてはじめて写経と呼ぶのだろうと思う。とりあえず今はひたすら文字を書くことに専念しよう。