一年を振返って




久しぶりの太陽
発電している実感


昨日の朝の番組「ボクらの時代」は震災直後から支援活動をつづけている三人の語りだった。。中には被災者もいる。聞いて思う……ことばが追いついていない。一度収録したものの内容に心残りがあり収録し直したものだそうである。それでもなおことばが追いついていないと感じるほど震災は大きいのだ。

三人はもっと怒りをぶつけようと言う。マスメディアの情報とは裏腹に、少しも復興が進んでいないことへのいらだちもある。大事なことを隠しつづける国への不信もある。

この一年で分ったことは、今の日本の硬直した政治体制ではどの党が政権を取っても同じことの繰返しだ、ということだ。民主党はあまりに未熟である。放射線問題では、政治経験不足のゆえにいろいろなものが透かし見えたという「功績」はある。自民党だったら恐ろしいことにもっと巧妙に隠し通したことだろう。復興のごたごたは政治家だけの責任ではない。私見ではあるが、官僚、役人の責任の方が大きいのではないだろうか。

だが、それを問うてどうなるわけでもない。大切なことは、この日本をどう立ち直らせてゆくかである。

ない知恵を絞って考えて見た。その結果辿りついたのは教育だ。

日本は危機管理能力に乏しいと言われる。当然のことだ。戦後、アメリカによって徹底した教育統制が行われ、統治能力が骨抜きされたのだ。危機管理能力が育つわけがない。

今の日本にとって緊急事は、新しい教育を根本から考え直すことだ。即効性はない。その教育によって育った人材が国を統治するまでに何十年と掛るのだ。それを覚悟の上、着手すべきだ。その教育は柔軟な思考を育てる教育だ。

至るところで重要なポストを占めている人材を輩出している東大に合格するまでの受験勉強を考えてみるがよい。それは極端に言えば幼稚園から始まっている。受験勉強の画一化は日本全土に及んでいる。そうやって一億総思考力硬化の道を突っ走っているのだ。

危機管理能力が低いのではない。想像力/創造力が乏しいのだ。東大というゴールにたどり着くまでに一度も問われないのが受験に益することのない力、想像力/創造力である。そんな人材が日本の政治を担っている。

素晴らしい記憶力で前例を踏襲することが、確かに、これまでの日本を支えてきたかも知れない。だが、これからは違う。

文科省が、では、主導権を握れるのか?あり得ない話だ。そういう骨組み自体を組み立て直さないかぎり日本の現状維持が関の山であろう。

パソコンで譬えるならOSが時代遅れになったにもかかわらず、そのOSに新しいソフトを導入して時代に対処しようとしているようなものだ。日本の政治体制はMS−DOS、メディアはフロッピー程度ではなかろうか。

政治のOSを変えるということは政党を変えるということなどでない。

どうやって?

では、どうやって?

無責任なようだが、私には分らない。口惜しいが分らない。私の一生では答はでないだろう。

でも、問いを投げかけることはできる。次の世代に、問いかけだけはしつづけようと思う。




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