逆説




山房の裏庭は何の前触れもなく突然森になる
だから展示室から森の断面が見える


ハイデガーは存在がおのれを開示する場所をLichtung(森の空き地)と呼んだ。
生い茂る樹木で満ちた森のなかに、何もない空間が広がる。
鬱蒼とした樹木の群のただ中で、樹木の欠けが森全体を啓示する。樹木になし得ないことを空虚がなし得るというハイデガーの洞察は暗示に満ちている。

武満徹は自著に「音、沈黙と測りあえるほどに」という名を与えた。

音の豊饒は音の洪水のなかから生まれるのではなく、鳴り響く音のただ中にある沈黙からやって来ることを竹満は感覚的に知っていた。

樹木で覆い尽くされた森は、私たちを樹木へと向き合わせてくれるが、森を見せてはくれることはない。一瞬のひろがりが天啓を生み出す。

ゆうべ、打楽器と舞踏の競演があった。残念ながら私には大いなるものへとつづくLichtungを見つけることは出来なかった。二人が競い合っていたことは確かだったが、融け合うことはなかった。残念ながらそこにあったのは音と動きだけであり、一段高い次元への入口は閉ざされたままであった。

あるいは私の目や耳が節穴なのかも知れないのだが、存在に覆い尽くされたこの世で、存在の空き地に出会うことは稀れなことなのだ、と思った。




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