朗読公演
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花粉舞い
残酷な春が始まった
ものの
苦しむひとはたった三分の一
逆に言えば三分の二は花粉症ではない
ううむ、納得できない
桃の節句に児玉文化会館セルディで行われた「三遊亭圓朝人情噺」は無事終了した。
つくづく感じたのは公演のタイトルは大事だということである。客は公演内容を知るよしもないから、タイトルが唯一の情報なのだ。
今回はちょっと古典的な命名に寄りかかりすぎたようである。そこに何の工夫もなかった。また、ないことに何の疑念も抱かなかった。大反省である。
しばらくは公演がないのでやきものに専念しよう。今一番こころの中心に居座っている命題は「偉大なものは単純である」というフルトヴェングラーのことばだ。
やきものを始めもの作りに従事するものが取る態度は外に向うか内に向うかの二つに分れる。陶芸家で言えば唐九郎と豊蔵だ。どちらも素晴らしい。要はどちらが肌に合うか……それだけだ。
言へばただそれだけのこと柳かな