ファゴットの記憶

大学院時代、シェイクスピア劇を始めたころは音楽関係の仲間が沢山いた。特に『夏の夜の夢』を劇団の旗揚げ公演に上演した時は今から考えると贅沢そのものだった。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスブロックフレーテオーボエファゴット、トランペット、ホルンからなる寄せ集めの楽隊が連日、生でヘンリー・パーセルの「妖精の女王」組曲を演奏した。

寄せ集めと言ったが、単に同じオーケストラのメンバーでないという意味であり、このことばがニュアンスとして持つ、質の悪い演奏集団という意味ではない。それが証拠にコンサートマスターヴィオラファゴットの三人はその後、プロになっている。

こんなことを書こうと思い立ったのは、さっきNHK教育ジャン・フルネの引退演奏会を放送していたからだ。フルネは自分の最後の演奏の相手に母国フランスのオーケストラではなく、日本の都響を指名したという。その話を聴いたとたんに馬場君を思い出した。『夏の夜の夢』の公演のすぐあと、馬場君は都響に就職したのだ。

彼は非常に個性的なファゴット奏者だった。教育大学の数学科の学生だったのだが、学校へはほとんど行っていない、と言っていた。風貌は学生というより仙人だった。何よりも楽しいのは彼の歩き方だ。ファゴットケースを持って歩く姿やリズムが、ファゴットという楽器そのものなのだ。

彼の演奏は(私の独断だが)あの演奏者の中で群を抜いていた。教育大学のオーケストラの演奏会でも彼の音を聞き分けることができたほどだ。ファゴットのような馬場君が大事そうに抱きかかえて演奏する細長い木管楽器からは光沢のある甘い音色が鳴り響き、その時すでに、もうプロの領域にあることを感じさせた。

「私は音楽が好きなのではなく、バスーンを吹くことが好きなのだ」

彼のことばだそうだ。これを読んで目が覚めるような感じがした。私が演劇に対して抱いているもやもやとした思いを簡潔に言い当てているではないか。私も彼に和して言おう「私は演劇が好きなのではなく、台詞を奏でることが好きなのだ」と。

馬場君、ありがとう。