Qちゃん引退・・・大輪の花から実へ
高橋尚子が引退を表明した。
小出監督から独立したことで選手としての寿命を短くしたように思う。私たちにはうかがい知れない事情があって独立を決意したのだろうが、独立と孤立は違う。Qちゃんのやり方は孤立に近かったのではないだろうか。練習方法も、若かったとき小出監督に教わったやり方を踏襲するだけでなく、さらに先鋭化し、筋肉を酷使して自滅した。おそらく監督がいれば20代の練習と30代の練習は変えさせていたろう。他者の眼の重要さを感じる。共同体のなかにあってこそ独立と言える。
Qちゃんは、高校時代の陸上部監督から贈られた「何も咲かない寒い日は下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」ということばを座右の銘にしていたと聞く。
だが、問題は何も咲かない寒い日にではなく、大きな花を咲かせたあとに起った。この座右の銘が皮肉にもQちゃんを追い詰めたのではないだろうか。Qちゃんは咲いたあとも下へ下へと根を伸ばそうとしていた。そうやって茎を傷めてしまった。
花は咲いたあと、実を付ける。いや、実を付けるために花は咲くのだ。そこに生命のたくましい循環がある。座右の銘には花が咲くまでの努力だけが謳われている。それが命取りになった。
栄光と挫折の神話がここにある。そして神話はいつも残酷だ。
Qちゃんの独立-孤立を思うと他人事ではない。ん窯はまだ独立の曙光さえ見えない。もちろん孤立は避けたい。訓練校の仲間や先生もいる、劇団仲間もいる。孤立は避けられると思う。だが、私はまだ根を伸ばす努力をしているとは言えない。まずQちゃんの1000分の一でもいいから稽古することだ。