切磋琢磨

訓練校同期のプラトン君が窯出しの画像を送ってきてくれた。
衝撃を受けた。取り残されている自分!どうする!
まあ、あせっても仕方ない。今出来ることをやるのみだ。
最近は井戸型の稽古を始めた。いよいよ茶碗稽古に入る。
切立ははっきりとした規範がある。口径何?、深さ何cm。実に明解だ。モーツァルトの音楽だ。明解だからあらがはっきりくっきり見える。
昔コマーシャルで、はっきりくっきりとーしばさん、ていうのがあったな。
閑話休題
しかし、井戸には約束事はあるが規範はない。その約束事にしてもつぶさに現存の井戸茶碗を観察すると絶対ではない。破格の中の約束にすぎない。これなどは茶人が勝手に自分の茶碗を自慢したいために吹聴した差別化の材料に過ぎないと思っている。
となると、頼りになるものは自分の感覚だけだ。良いか、悪いか、それだけだ。
こういうのが一番困る。しかも、芝居の経験から言えば、良し悪し、は紙一重だ。その上良い悪いの天秤上にあるうちはまだ稽古の段階であり、舞台の所作ではない。
舞台では《おのずから》が基本だ。動くところに華が咲く。留まるところに華が咲く。思い邪(よこしま)無し、まさに詩経の世界だ。


桃の夭夭たる
灼灼たる其の華
この子ここに歸(とつ)ぐ
其の室家に宜(よろ)し
では、夭夭はどうすれば得られるのか?灼灼は?
答はない。手と目を信じるしかない。



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