比較的しのぎやすい日がつづく

暑いときはカッと暑いが、最近の気象はその両端を曇がちの涼しい日がはさんでいることが多い。からだは楽だが、器が乾かない。かつては夏に作りためをして、冬に焼いたという。理にかなっていることが分る。もしかすると農作業との兼ね合いもあったのかも知れない。
料理の本をぱらぱらと見ていたら、季節に関係なく使い回しが利くのは口径24cm、丈9cmの粉引中鉢だとあった。
そこで出来上がりサイズ24cmの中鉢を挽いてみた。まず、練習に径25cmのドベ鉢を挽いてから取り掛かった。

ロクロ上では約27cm。挽いて思うのは中鉢というものはずいぶんと大きなものなのだなということだ。
粉引化粧土をしばらく調合していないので、しばらく悩んでみよう。


麻浴山寳徹禪師、扇を使う。
ちなみに僧、来たりて問う。風はどこにでもあり、吹かない場所などないはず、何故ことさらに扇を使うのでしょうか?
師曰く。お前は風がどこにでもあることは知っているようだが、吹かない場所などない道理をまだ会得できていない。
僧曰く。吹かない場所などない道理とは一体何でしょうか。
時に師、扇を使うのみなり。
僧、礼拝す。
道元正法眼蔵』「現状公案」より(ところどころ現代文に直してあります)
いい話だ。何度読んでもいい。
風とは仏性のことだと先哲の書物にはあるが、そういう解釈は《ほとけ》にしばられている感がある。風は風でよいではないか。のっけから比喩ではからだを失う。風は風のまま吹く。
この「道理」はあまりに単純すぎるので誰もが引っ掛かってしまう。誰もが知っているのに誰も知らない体のものだ。アウグスティヌスの時間問答のように。
単純だから見所を変えれば即座に会得できる。
師の懇切丁寧な教えを瞬時に呑込み、礼拝する僧の姿がさわやかだ。

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