無能な民放

いつもは愚劣なお笑いばかり垂れ流している民放が競って惨状をこれでもかと流す。
いまこそお得意のお笑いが必要なのではないか。
どこも同じことをやっている。これではチャンネルが複数ある意味があるのだろうか?これこそ節約すべき電気の無駄遣い以外の何ものでもない。
ひとは現実だけでは生きられない。
アウシュビッツの過酷な収容所生活を耐え抜いたフランクルは希望のもつ力を説く。
せめてあたりが暗くなってからは心温まる映画や音楽を流すことは出来ないのか。地震情報は字幕やデータ放送で流せるだろう。
皮肉なことに普段観たことのない群馬TVで流していた白井塾の武者行列や、作文コンクールに応募した小学生の話が一番心に沁みた。
民放よ、被災地の心のケアを考えたらどうなのだ。
全国ネットのどのチャンネルが一番最初にそれを始める決断ができるか?
民放も広告なしにそういつまでも持ち堪えられないだろう。また、広告主にしても、民放だからこそ、全国に向けて被災地支援の姿勢を打ち出すことができるはずだ。
こう言うとき一番大切なことは、いつもと同じに、ではないだろうか。
もちろん、勇気のいることではあるけれど。



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