RSCを観る

久しぶりにRSC(ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー)が『夏の夜の夢』を携えてやってきたので観に行った。
吹き抜けが寒々しい池袋、東京芸術劇場での公演だ。

9日から17日までの公演が全席売り切れだそうだ。日本人は金持ちだ。その上、キャンセル待ちのひとが受付前に並んでいた。

英語では舞台や映画のとっておきの演出や展開を明かす記事をspoilerと言う。劇評などのホームページには、この記事にはspoilerが含まれています、と但し書きがある。

ここからはspoilerを含む内容になるので、これから観に出掛ける人は読まないで欲しい。

グレゴリー・ドーランは、アイディアを寄せ木細工のように組み合わせる才能の持ち主だ。ピーター・ブルックの白塗り舞台に敬意を表してか、舞台奥は白塗りだ。ジャンプするハーミアを二人の男が受け止める場面もピーターから借りた。自転車を乗り回すところ、森の終盤でほとんど裸になる二組の男女はホフマンの映画のものだ。奇才エイドリアン・ノーブルからの借用もある。舞台左上に懸かる大きな月だ(劇の進行につれて右へ動いて行く)。そして、一番多く依存したのは、たぶん、ディズニーランドだろう!?

一般論だが、役者がおそまつだと舞台は立派になる、という反比例の法則がある。そう言えば群馬の地方自治体に(まるで鈴木忠志よろしく)食い込んでいる某氏の演出も大道具ばかり立派だ。あまりに立派なので、観客は劇のはじまりを待たずに帰れる。

ドーランの舞台も手品のように電気やワイヤーをはじめ、使えるものは何でも使う。ご愛敬は、オベロンが手品(たぶん、そのつもり)としてlove-in-idlenessを宙に浮かせるはずだったのだが、うまく行かず、種がすっかりばれていたため、私は何でこんな回りくどい出し方をするのか、と思った。

これで役者が一流ならば、こうした舞台の意匠も言い訳には見えなかったろう。

とにかく役者が二流だ。はっきり言って、私は学生演劇を観ているような気分になった。これで9500円は詐欺ではないか。台詞が下手、声ができていない、間が悪い、動きの間が抜けている。

ああ、日本も馬鹿にされたものだ、煮ても焼いても食えない二軍を送り込まれるのだから、と憤りを覚えた。

しかし、イギリスでの公演を観たひとの感想から(下にリンクがあります)判断するに、どうやら二軍ではないらしい。二度びっくりだ。RSCもここまで堕ちたか。

新納たも子さんの『夏の夜の夢』観劇記(2005年9月10日)http://www.alice-it.com/rsc/ninomsd.htm