あれは何なんだろう?
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最近
工房がカフェになりつつある
時々ふと思い出すのだが、瀬戸の町や、赤津の町、あるいは土岐や田治見などで窯元を訪れているときに感じる独特な雰囲気がある。それはここ群馬ではまったく感じることのできないものだ。
あれは何だったのだろう?
それが伝統というものさ、と言われればそれまでなのだが、最近はその雰囲気を思い出すのがだんだん困難になりつつある。時の流れというものだろうか。
それはやきもののアウラであり、ときには亡霊であり、呪縛であり、ときには日常でさえある。
ベンヤミン風に言えば、それは触れることのできない不気味な気配であり、なおかつ、確かにそこにあるものだ。
逆に考えよう。だから自由なのだ、と。間髪を入れず、制約の中でのみ芸術は育つ、と突っこまれるおそれはあるものの、それでも、呪縛から解放されるのはいいことだと強弁しておこう。
荻上直子監督の映画「めがね」を見てさらにその意を強くした。もっとも大切なものは目には見えないのだ。