コスタリカの憂鬱その2




大荒れの空模様
私の湯呑も荒れている


今日もまた届いたばかりのコスタリカ産珈琲豆を味わう。

器は3月に焼いたもの。できればこの梅花皮をもう少し丸めたいのだが、火加減がムズカシイ。

最近腹が出てきたのでお菓子はなし!食べすぎないよう気をつけてはいるのだが、腹が証人である。ま、運動不足なんだけれどね。ものぐさだから運動しないのだ。もちろん軽快にフィットネスクラブに通うなんてことは浦島太郎夢物語。第一フィットネスクラブが私の行動半径内に存在しない。

私は待っている。何を待っているのかまだ分らない。分らないままじっと待っている。「ゴドーを待ちながら」なら、まだゴドーが(結局登場はしないのだが)名指しされているだけよいのだが、私の場合、ただ待っている。待つということを、何のあてもなく、ぼんやり行っているだけだからタチが悪い。

映画「めがね」では春になるとやってくるかき氷作りの名手を待ち、登場とともに、誰もがゆるやかな時をすごしている。この姿勢は「たそがれる」と呼ばれている。

私はかつて見たやきものの色を待っているのかも知れない。それを探しに美濃、瀬戸から西へ西へと九州まで行ったがどこにもなかった。

いや、いや、そんな捕り物帖ではないな。

でも、今日のコスタリカも美味しかった。




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