脇道へ逸れず




すずめの親子が餌場にやって来るようになった
見ていて飽きないのは何故だろう

ひとは何故か脇道へ逸れたがるものだ。ただ目的地に向うだけの旅は味気ない。だから寄り道する。

時に脇へ逸れたことに気付かず、そのまま迷い人のままでいることさえある。

私が学生のときはクラブ活動を掛け持ちすることは考えられなかった。ひとつこれ!と決めたらとことん追求した。そして、それだけ燃焼した。

もう20年くらい前から、学生は二つのサークルを掛け持つようになった。三つ掛け持ちした上、アルバイトにも精出という猛者もいる。情報時代で気も多くなり、何でもしたい、何でもできると信じ込んでいる節がある。

いやいや、そんな若者事情などどうでもよいのだ、脚下照顧、我が身を省みるのが先だ。

やきものでひとつのことを貫くというのは並大抵の覚悟なしにはできない。

例えば、ひとつの窯にひとつの土、ひとつの釉で焼くということが私には何度あったろうか。いや、これまでなかったような気がする。一昨日の窯が最初の経験だった。そして、見事に失敗した。

いくつかの土、釉のバリエーションで臨むとあれはだめでも、これはよい、という救いがあるのだが、単味だとダメなときは全部だめである。全部よいなどという僥倖が訪れる奇跡はまずないことだろうから、ついつい弱気になり、色気も出して、あれやこれやを混在させることになる。

そして、奥行を失う。深い味わいはどこからやってくるのだろう。どこに隠れているのだろう。


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