もの作りへの道〜大学から尼寺へ

大学でシェイクスピアや英詩を教える傍ら、学生たちや社会で働く人たちと舞台を作る試みをしているうちにいつしか26年経った。だが、残念ながら我が大学はもの作りにはほとんど関心を示さぬひとの集団であった。まあこれは日本の大学では普通のことだからあまり気にはならなかった。だが、G県の事務官の陰の抵抗、間接的な妨害にはほとほと嫌気がさした。彼らにとって大学という建物は保守するためのものであり、決して使いこなすものではないのだ。舞台作りには時間が掛る。当然夜遅くまで稽古することになる。だが、これが彼らにとっては由々しき事態なのだ。みなさん、知らないでしょうね、そういう力がどれほど強いか。どれほどやる気を殺ぐか。 It hath made me mad……もう堪忍袋の緒が切れた。

ここでは舞台芸術は育たない。いや、もの作りそのものができない。

いや、そればかりではない。以前、私のゼミの大学院生が毎晩のように夜遅くまで院生室で研究していたときも、守衛に命じてここに書けないような、実に耐え難い扱いをしていた。

もしかすると、もう少し世渡り上手であればすいすいとことは運ぶのかも知れないが、土台無理な話だ。

これまで通りドン・キホーテを演じつづけられないこともないが、もう私には残り時間がない。あちらは三年ごとに生命力を更新しつづけるのだから、とてもかなわない。私は自分自身に向かって Get thee to the nunnery go……尼寺へ行け、とパラドキシカルな叱咤激励をして、「尼寺」でひとり静かにものを作る道を選ぼうと思う。