山田太一をもう一度

ランクルームに預けっぱなしになっているヴィデオの中から久しぶりに数本持ち出してきた。ひとつは山田太一の「家へおいでよ」(NHK総合、1996年)(出演:杉浦直樹筒井道隆鈴木砂羽小橋めぐみ岸田今日子ほか)だ。

山田太一の作品の特徴をひと言でいえば、自然な不自然さだろうか。

こんな言い方をすると一見失礼に思われるかも知れないが、山田太一はシナリオの書き手として巧者ではない。でも、一流の域に達したひとは誰もがそうだが、自分の弱点を逆手に取って成功している。

彼のドラマは2,3分見ればすぐに分る。台詞に特徴がある。例えば、短い文章をたたみかける。映画や他の作者のドラマだったらちょっとした仕種で取って替えられそうな応答(例えば、「そう」)をいちいち声に出して言わせる。同じ場に三人いれば、三人に「そう」「そう」「そう」と言わせる。その不自然さが面白い。それから登場人物がまるで自分の内部に起っていることを、手に取るように明らかな形でひとに伝える。一応「本当ならこんなことは言いたくはないんだが・・・」などと前置きはするが結構あけすけに自分のこころの内を開けっぴろげにする。

この最後の特徴が私は好きだ。謂わば心理劇である。と言っても、ひとのこころの機微を巧みに描き出した劇とか、精神療法のサイコドラマとかの意味ではなく、その場で語られていることがそれぞれのこころの外面化であるという意味で心理劇なのだ。

だから誰もが正直におのれを語る。聴いている人の迷惑などお構いなしにこころの内部を吐露する。その解放感が好きだ。ああ、自分の人生もこんな風に正直であればいいのだ、と肩の力を抜かせる魅力がある。

もちろん、現実にはそんな奔放な告白はまずあり得ない。

それをあたかもあり得るかのように見せてしまうところが山田太一の虚構の力だ。

「家へおいでよ」は地味なドラマだ。NHKでなければ放映は難しかったろう。「相棒」でお馴染みの鈴木砂羽も出ているが、ベテランの杉浦直樹岸田今日子以外は、はっきり言っていい芝居をしてはいない。これは私の勝手な憶測だが、演出はわざとぶきっちょに下手くそに演じることを要求したのではないか。所作は言うに及ばず台詞も一本調子だ。といって、それだからつまらないというのでない。

山田太一の特徴をもうひとつ付け加えれば、共同体感覚だ。「岸辺のアルバム」「時にはいっしょに」「異人たちとの夏」などはこの感覚が前面に出されている作品だ。

「家へおいでよ」は赤の他人とどこまで共同体が作れるかを描いている。だが、他の山田ドラマと同様、登場人物を人間だと勘違いしてはいけない。スクリーンに映った姿は人間そっくりだし、住んでいる世界も私たちの世界に似ているが、そこにいるのは人間とはまったく違う異人たちなのだ。住んでいる世界もこの世とそっくりに作られた劇場という異界である。

いや、この言い方は誤解を招きそうだ。そんなことを言ったら、どんなドラマだって映画だって、異人たちの異界での出来事を描いたものにすぎないのではないか、と言われそうだ。

そういう意味ではない。山田太一は自分の作品を作る際、はじめから作戦として、観客に現実を非現実(芝居世界)として見せようとしている。謂わば確信犯なのである。だから台詞もあえて自然な流れを乱すように計算されている。「家へおいでよ」では演出家がその作戦を理解して、これも確信犯的に、あまり現実そっくりにならない演戯を要求したのだ。登場人物たちは、人間ではなく虚構人として生きている。こういう芝居の作り方はメタシアターと呼ばれている。

近代メタシアターの元祖はピランデッロというイタリアの劇作家が書いた「作者を探す六人の登場人物たち」だろう。実は歴史はもっと古い。スペインの劇作家カルデロンが「人生は夢」で壮大なメタシアターを実験している。そして、スペインといえばセルバンテスがいる。かの「ドン・キホーテ」も劇作品ではないがメタシアターである。さらにはシェイクスピアも数多くの巧緻なメタシアターを残している。まさに「この世は舞台、ひとはみな役者」である。

山田太一はその路線上にあるのだ。一番この傾向が強く出ているのは「真夜中の匂い」だろう。芝居好きな青年がありきたりの人生に倦んで、実人生を芝居として生きようとする。自分だけではなく、出会ったひとたちにも同じことを要求し、この世という舞台に生きるもの同士の共同体感覚を得るというかなり刺激的な作品だ。

もちろん、私たちがこの世で自分の人生を芝居として生きられれば同質の共同体感覚が得られるだろう。でも、そんな「芝居がかった」人生は送りがたいものだ。特に現代のように現実、真実、事実ばかりが価値あるように思われている時代にあっては余計にむずかしい。「小泉劇場」などと劇を安っぽく見限るような言回しをされると、冗談じゃない、そんなところに劇はない、と言いたくなるのだが・・・。

「家へおいでよ」は成功作とは言えない。6回という中途半端なクールが災いしたのかも知れない。CMが入らないという制約のなさが逆効果だったのかも知れない。CMはスクリーン世界にどっぷりはまりこんだ見手を強引に現実に引き戻してくれる。おかげで何度でも芝居世界に入り込む抵抗感を味わえるのだ。

でも、面白かった。「家へおいでよ」は一度見ているはずなのに内容をすっかり忘れていた。

もう一度観たい山田ドラマがある。「時にはいっしょに」だ。録画していたのだが、何かの手違いで上書きして消してしまった。DVDで出ていれば観られるのだが出ていないようだ。そうなるとなおさら観たい。たまらなく観たい。誰かヴィデオで録っていないかなあ。

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