留学はすごい
イギリスへ留学している知合いがいる。時折、論文の草稿を送って読ませてくれるのだが、まず驚くのが参考文献の量だ。本人は必至になってやっているから分らないかも知れないが、これが留学のすごさだな、と留学したことのない私にはまぶしく感じる。
それは例えば言えば、訓練校を経験しているか、いないかの差に似ている。
もちろん、質も違うのだが、何よりもまず決定的なのは量の違いだ。訓練校では製造科だけで一日一トンの粘土を使うこともある。同じように大学院留学生はノルマとなる文献の量が半端ではない。
私の大学院時代の師のひとりが、論文はまず最初、質ではなく、量だ、とおっしゃっていた。
数をこなさないことにはどうにもならない世界というものがあるのだ。鈴木五郎には一日に1200個の切立湯呑を挽いた伝説がある。そこまではできなくても訓練校生ならかなりの量を挽いている。いやでも挽かされる。留学生も同じだ。そうやって鍛えられて行く。そうやって見えないものが見えてくる。ただ、本人には自覚がない。自覚がなくても力は蓄えられている。
帰ってからが楽しみだ。
私にも自覚がないのだが、私の場合、見えないものが見えないままだからかも知れない。こいつぁ、まずいな。