思うことと知ることと

何だか小林秀雄のエッセイの題みたいになったが、やきものをやってみて窯が下す鉄槌が身に沁みる。
思惑はあれもこれもある。だが、そんな人間の頭が届く思慮の範囲の狭さを窯はいつも教えてくれる。
釈尊の掌中にありながら世界を駆けめぐっていると思い込んでいる孫悟空のようなものだ。
まさに思い知るのだ。
思うことに対して知ることの迫真は如何ばかりか。
窯にいい勉強をさせてもらっている。
思うことなどこれっぽっちの価値もないのだ。にもかかわらずひとは思う。
時が知らしめることを先取りしようとひとは思う。それは人間存在のまごうことなき価値であると同時に最大の自傷でもある(器官障害)。
だから後悔は決して先に立たないのだ。思い、思ってのち、思い知るのである。
段々窯焚き前の思いが少なくなってきた。思わないわけではない。思ってもどうにもならないことは窯に任せようと覚悟を決めた。
だから自分がやきものを作るというより、窯が作ってくれたものを横取りする感じだ。
私はずるい奴である。




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