読書会

今日は事情があって午前から読書会をはじめる。
格闘する相手はハイデガー。しかし、日本語訳がひどすぎる。せめて英訳が手元にあればと思うが、引越の段ボールのどこに入っているのやら・・・。新しい工房に落着くまでは出て来ないだろう。
どのくらいその日本語がすごいか、というと


勇敢なるものの不安は、喜びに或は安らかな暮しの快い楽しみに反対する立場を許さない。
許さない、とは何なの?この高圧的な態度は何を意味するのか?私の日本語のバランス感覚は根本から揺さぶられてしまう。おそらく、勇敢なるものが向き合う根源的な不安は、必ずしも安らかな暮しを排除するものではない、と言っているのではないだろうか。
こんな日本語訳を出版する出版社も出版社であるが、一番の戦犯は訳者(=哲学の専門家)本人である。
たしかにハイデガーはむずかしい。それでも私の限られて経験から言えば、難解の書と言われる『存在と時間』も英語で読むとそれほど難解ではない。日本語訳が難解なだけなのだ。
哲学を専門とするひとたちにもう少し日本語感覚を磨いて欲しいと思うのは私だけではないはずだ。