無駄の雲

無駄には意味がないようでいて実は豊饒な回り道だったりする。だが、それは時間から見た無駄の場合だ。力から見ると無駄にはほとんど得るところがない。無駄=駄が無い、つまり、運ぶべき荷物がない、仕事をしていない、という語源が言い得て妙なりである。
陶芸の分野で名人、名工と言われる人のろくろを見るとどこにも力を入れていないように見える。土が勝手に器になって行くようである。
今日、芝居の稽古でひょんなことから面白い発見をした。いい声を出す役者は声の波長がからだに響き渡っている。因果で見ると実際はその反対で、からだに響き渡っているからいい声だ出るのだ。
「ただの雲」ということばがどうしても響かない役者がいた。何度も稽古した。やっているうちに胸骨が響いているかどうか試してみようということになった。声の響く役者はしっかり震えていた。でも、うまく行かない役者もそれなりに震えてはいた。じゃあ、背中はどうかと試してみる。その差、歴然であった。件の役者の背中は微動だにしなかった。
聞いてみると響く役者は上半身を脱力し全体を空洞にして響かせている。一方の役者は腹筋に力を入れてしゃべるようにしているという。舞台に立てようになってからずっとそうしている、という。
響かないわけだ。腹に入れた力はまさに無駄であった。



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