この世に鏡がなかったらひとは世界という外部と自己という内部の単純な二分法で生きていることだろう。鏡に映った自分の姿を自分と認識した時(猫にはそれができないらしい)、ひとは内面から外部への通路を持ち、内面でありつつ外部であるパラドックスを生き始める。

さっき歯磨きをしながら洗面台の鏡を見ていた。真っ白になり掛かった髭の自分を受入れない自分がいる一方、この白髭の男しか知らない外部(世間)によって支えられ、存在せしめられている自分をひしと感じる自分がいた。鏡は文字通り奥が深い。