台本、後退

行き詰まってしまった。しばしretreatだ。撤退だ。休養だ。

稽古場にまるで家に帰るようにやって来る団員と共にでなければいい台本も芝居も出来ない、とつくづく思う。芝居は実に特権的、かつ、排他的、求心的だ。しかし、慢心がうまれたら死に体になる。声の密度に穴が開く。からだの切れが鈍くなる。だからいつでも稽古、年中稽古だ。

とは言え、理想は理想、現実は現実。目の前には締め切りがある。公演日程がある。ものを作るというのは形あるものを作るということだから、ゆるゆるにくずれたものになることもあるし、きっちりと仕上がったものになることもある。どっちにも成りうるというのが、もの作りのこわいところだ。例えば、理科の実験のように温度が一度でも低ければ色が変らない、気体が目に見える液体、固体にならない、そうだったらどんなに心安らかだろう。

どうにでも出来上がってしまうから、いま目に見えない姿に向って稽古するしかない。一日一日時間を大切にしたい。