台本なおし
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蚊だって必死である
刺されるとひどくかゆい
いつものことだが、ある程度芝居が形を表しはじめてると台本の不備が目に着くようになる。書いた段階では不備ではないのだが、芝居の方向が決まってくると、360度自由な台本と、有限な舞台の肉体のあいだにきしみが生じる。そういうときはある場面をカットしたり、台詞を入替えたり、場合によっては台本を全面的に書き直したりする。これまでもそうやって窮地を脱してきた。
今回は全面書き直しはさけられそうだが、手直しは必要だ。
「眼は横にあり、鼻は縦に付き」は3楽章の譜面のない楽曲であり、舞踏でもある。台本の台詞や詩に沿って作られたメロディーや振付はそれ相応の必然性の中で生まれてきているからおいそれと取替えることはできない。だが、歌や舞踏の位置を入替えることはできる。
昨日の稽古では入替えた台本をもとに芝居全体を俯瞰してみた。まだ3楽章の後半部がまったく仕上がっていないものの、そこに至る流れを見ると、時の密度の変化という点で格段に向上した。
さて、芝居をどう締めくくるのか……。幕切れにはいつも悩まされる。だが、これは決まるべくして決まるので無理に決めないことにしている。稽古場で決まることもあるし、ぼんやりしているお茶の時間などにアイディアが降ってくることもある。ゲネプロの直前に決り、役者を困らせたこともある。
より良いものを!めざしているのはそれだけだ。だから、仕上がりはない。初日と二日目(楽)で演出が変ることはしょっちゅだ。公演が1週間先になれば、また、さらに変化するだろう。
もっと良いものを……ということは、いつも未完成ということなのだ。小林秀雄が人間について、死んで初めて完成する、というようなことをどこかで書いていたのを思い出す。
Non finito 未完の完 とつき合いはじめてもう45年になる。