枇杷

ゆうべ弟から電話があり枇杷が食べ頃になったという。
さっそく取りに行った。今年は不作らしい。枝もたわわという生り方ではなかった。それでも何日か楽しむには十分すぎるほど収穫できた。

子供の時、家に枇杷の木があり、梅雨時は木に登って大きな種を口から吹き出しながら枇杷を食べた。枇杷はそうやった食べるものだと思い込んでいた。だから、大学生になって上京し枇杷が売られていることに仰天した。
当時の枇杷の木はもうないが、弟が枇杷を育ててくれているので美味しく食べられる。ありがたいことだ。
話は飛ぶが、夢を見た。
私の夢にはめったに知った顔が出て来ないのだが、今朝の夢にはかつての学生たちが登場した。どうやらゼミ合宿の最中らしい。学生たちがたのしそうに議論している。私はいつの間にか寝てしまっていた。
朝になり、いつどうやって寝てしまったのか思い出せない自分が腑甲斐ないと嘆いていると天から声が聞えてくる。
「作品とは、作品論で語り出されるあらゆるものを引いたあとに残る余剰である。」
何か素晴らしい発見だと直感した。夢を見ていながらも夢の外で判断する自分がいるのだ。だから目を開けたときに忘れてしまわないように必死にこの名言を覚え込もうと努力していた。
目が覚めると目覚ましのミニコンポからモーツァルト交響曲41番第3楽章が鳴っていた。
台本を書いているときはこんな風に天の声にずいぶん助けられた。だから台本を読み返しても自分ひとりで書いたという実感はあまりない。
やきものもそんな風に出来たらと思う。
自分が、自分が、とやっているうちは牛の跡さえ見えないのだ。ロクロを挽く手が自分でない誰かの手になったときいいものが出来るような気がする。
今日は枇杷を取りに行く前に今まで使っていたのとは別なもぐさ土を挽いておいた。夕方、いい頃合いになったので削ってみた。縮緬がきれいに出る。縮緬フリークの私はちょっとうれしくなった。




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