今日のシェイクスピアは『ヴェローナの二紳士』


この劇のあじわいは良くも悪くもそのういういしさにある。シェイクスピアの第一作と推定される『ヴェローナの二紳士』はまさに青春讃歌だ。あぶなっかしい生き方をする若い男女のかたわらに、人生を知り尽くしたかごとくに身もふたもないコメントをする召使いたちを置くことで、青春讃歌はいっそう強調される。
最初のみどころは、男装したジューリアが恋人の心変わりを知る場面だ(4幕2場)。宿の主人に案内されて、ジューリアは恋人が自分以外の女性に愛の歌を捧げるところを立ち聞きする。急に元気がなくなったわけを訊かれてジューリアは

JULIA. He plays false, father.

と答える。おもての意味は「演奏を間違えたから」だが、裏には「うそをついているから」の意味が隠されている。こんな風に二重の意味を遊ぶ精神はシェイクスピア劇の香辛料となっている。これは日本語のだじゃれとは違う。だじゃれがことばの中でのみの遊びなら、これは状況を取り込んだことば遊びとでもいうのだろうか。このあとジューリアはプローチャスが直接シルヴィアを口説くところを目撃することになり、ふたりの会話の合間に影の人物として傍白する痛々しい場面がつづく。
もうひとつのみどころは男装したジューリアがプローチャスの恋の使いでシルヴィアのところにゆく場面だ。ひょんなことからジューリアの話になり、シルヴィアから尋ねられる。

SILVIA. Dost thou know her?
JULIA. Almost as well as I do know myself.
To think upon her woes, I do protest
That I have wept a hundred several times.
(シルヴィア:あなたはその方のお知り合い? ジューリア:自分と同じくらいよく存じております。あのひとの悲しみを思うにつけ何百回泣いたか分かりません。)

変装した登場人物はいわば戸籍を抹消されているに等しいわけだから、自分を語るためには他人になりすまさなければならない。自分の身の上を話すのに「自分と同じくらいよく存じております」と言わねばならない不自由が観客の哀れを誘い、この場面を感動的なものにしている。その上、祭の出しもので演じた役は、愛するシーシアスをクレタ島の迷宮から救い出したあとナクソス島に置き去りにされたアリアドネの悲話であり、それがプローチャスに捨てられたジューリアの悲哀に重ねられて悲しみの色はいっそうきわだつ。




長くなるのでつづきは⇒シェイクスピア全作品解説
覚えておきたいシェイクスピアのことば⇒ジャンル別シェイクスピアの名台詞集



わが家の湯呑たち
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