今日のシェイクスピアは『ヘンリー五世』

オリヴィエ監督・主演の映画(1944年)は、第二次世界大戦という状況のもとでの国威発揚という政治的目的を多分に含んでいるとはいえ、今でも十分鑑賞に耐える芸術的価値を持っている。とくに、エリザベス朝当時のグローブ座にカメラが入ってゆく開幕は、観客の目を政治ではなく、芸術へと向けさせようとするオリヴィエの意図を感じさせる。また、舞台裏で出番を待つ役者たちの模様が劇場の興奮を生々しく伝えている。劇が進み、いざフランス出陣という場面でもオリヴィエの「戦略」はつづき、実写ではなく、絵に描いた背景を用いることで、現実との距離を示している。この非写実主義には舞台の生理を知り尽くしたオリヴィエの確信が見てとれる。つまり、こういう道具は薄っぺらければ薄っぺらいほど、演戯の真実が前面に出るのだという逆説的確信だ。それにしてもこの映画の色彩の見事さはどうだろう。ちょっと考えてみれば分かるが、この時代に総天然色というのはかなりの贅沢だ。その点は愛国主義に感謝したい。
ケネス・ブラナーの映画(1989年)はできるかぎり虚構として語ろうとしたオリヴィエの映画と対極にあり、全編を通じて実写の迫力を追求しているが、それだったらデレック・ジャコビの口上は余計ではないだろうか。出だしの凝った工夫は、しかし、すぐに忘れ去られ、居酒屋の女将がフォルスタッフの死を伝える場面となる。ジュディ・デンチが全身に悲哀をたたえた演戯は見事のひと言につきる。この女優は、画面に現れるとすぐに、観客のこころを自分の役柄へと吸い取ってしまう特別な才能に恵まれている。短い場面だが、印象に残る場面だ。もちろん、ブラナーのアジンコートの戦いを前にしたクリスピアン祭日の台詞も見事だ。この映画で彼は「オリヴィエの再来」と称賛されたが、少なくともこの台詞ではオリヴィエを越えている。
直接『ヘンリー五世』を描いた作品ではないが、ダニー・デヴィート主演の『勇気あるもの』(Renaissance Man)(1994年)もぜひ紹介しておきたい。作品は戦争物ではなく、訓練兵物だ。使いものにならず、みんなからダブルD(damned as a dog)と馬鹿にされている訓練兵たちが、臨時雇いの教官からシェイクスピアを習ううちに人間であることの誇りを自覚し、立派な兵隊として巣立ってゆくという内容だが、途中でカナダへシェイクスピア劇を見に行く場面がある。その劇が『ヘンリー五世』だ。劇に感動したひとりの訓練兵は上官から、シェイクスピアなんか勉強しても実戦には通用しないと馬鹿にされながらも、大雨の野戦訓練場でその上官に堂々と『ヘンリー五世』のクリスピアン祭日の演説を語って聞かせ、涙を流させる。この場面の魅力は、ニューヨーク生まれの背の低いさえない若者が、シェイクスピアの台詞の力によって、見事にヘンリー王になってしまうところだ。雨の訓練場は一瞬にしてアジンコートに変わり、仲間たちは誇らしく結束する。劇の力が世界を一変させ、まさに「この世は舞台」であることを実感させてくれる。



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