今日のシェイクスピアは『じゃじゃ馬ならし』

じゃじゃ馬ならし』は劇についての劇といえる。登場人物の多くが演戯している。スライは領主になり、ルーチェンシオはキャンビオ(キャンビオはイタリア語で「交換」の意味)になりすます。トラーニオはルーチェンシオと役を取り替え、ホーテンシオはリチオになる。そして、見ず知らずの旅人までもが父親役を押しつけられる。さらに役の名前は変わりはしないが、カタリーナはじゃじゃ馬からよき妻に変身する。
そしてなによりも、劇の中に劇を置く構成そのものが劇的だ。とはいえ、本当ならもう一度スライの話に戻って、自分を領主と思いこんでいるスライの目をさます必要があるのだが、シェイクスピアはうっかり劇中劇を閉じるのを忘れてしまった。しかし、起承転結、すべてそろっているのがよいのか、それとも、どこかに消えたスライのことをあれこれ考えさせる奇妙な構成がよいのか、意見の分かれるところだ。スライは楽屋に帰らず客席に降りた。私たちがスライなのだ。そう考える方が楽しいし、はるかに劇的ではないだろうか。

PETRUCHIO. To me she's married, not unto my clothes.
(俺と結婚したんだ、俺の服とじゃない。)
結婚式当日、とんでもないボロを着てやってきたペトルーキオをまわりが正装に着替えさせようとしたときに言った決め台詞だ。このことばはカタリーナのこころの奥にずしんと響いたにちがいない。




長くなるのでつづきは⇒シェイクスピア全作品解説
覚えておきたいシェイクスピアのことばは⇒ジャンル別シェイクスピア名台詞集




わが家のジンクス
大事な行事がある日は荒れる

何で今日だけ気温が下がるの???




いつもおつき合い下さりありがとうございます。応援よろしくm(_ _)m
画像をクリックしてランキングサイトが表示されれば投票終了

f:id:aien:20190416065119j:plain



にほんブログ村 美術ブログ 陶芸へ
さらりと脱原発